宮古島の保良のこと/2022年4月の保良ゲート前

 一刻も早く、宮古島からミサイル・弾薬の撤去を!

※2023年1月の更新です。

(ブログがあたらしくなったので、改めて保良について…)

 宮古島の東部に、保良(ぼら)と、七又(ななまた)という集落があります。東端の東平安名崎に近く太平洋に面した、サトウキビやタバコなどの畑に囲まれた静かなところです。この二つの集落の人びとの生活圏内で、いちばん近い民家からは200mしか離れていないという場所で、陸上自衛隊のミサイル弾薬庫や射撃訓練場などを備えた新基地の建設が、2019年10月に始まりました。「陸上自衛隊 宮古島駐屯地」が開設されてから約半年後のことでした。

 「第一列島線」と呼ばれる島々をミサイル発射台として海峡封鎖態勢を整備し中国を包囲する、という西太平洋地域における覇権維持・強化のためのアメリカ の軍事戦略をベースに、日本政府は「南西シフト」と呼ばれる琉球弧(南西諸島)の軍備強化を行ってきました。連なる島々が、大国の覇権争いのための、ミサイル戦争態勢の最前線基地に仕立て上げられようとしているのです。とりわけ宮古島は、海峡封鎖の「チョークポイント」とされる宮古海峡(公海)に面してい るため、地対艦ミサイルの攻撃拠点として重要視されています。(この戦争態勢を大きく前進させる際にはその都度、「尖閣危機」や「台湾有事」などのキャンペーンが用いられ、本来の目的は表面化されずにきました。)

 

 2019年10月7日、住民合意が皆無のまま保良弾薬庫基地建設工事着工が強行されたその日から、地元住民の方々によるゲート前での抗議行動が始まりました。一分一秒でも工事を遅らせるために、保良・七又の人たちはトラックの前に立ちました。工事のない日曜日以外のほぼ毎日、「祝日」も「慰霊の日」も雨の日も風の日も炎天下でも、工事の状況によっては一日に4度も5度も、抗議行動は続けられてきました。

 2021年4月、「陸上自衛隊 保良訓練場」という名前で、まだまだ工事中のまま基地の運用が始まり(2023年1月現在も射撃訓練場建設などの工事が続いています。もう1棟の弾薬庫の 建設も計画されています。)、静かな集落に物々しい軍事車両・ミサイル車両がわがものがおで走り回るようになりました。5月には、着工前の防衛局の説明では「ない」「お約束できる」としていた「大きな音や振動が生じる訓練」が夜間にとつぜん行われました。6月2日には初めて弾薬類が弾薬庫に運び込まれ、 11月14日にはとうとう地対艦ミサイル弾体などが本格的に搬入されました。以来保良・七又の住民は、「枕元」と言えるような場所に強力な破壊力を持つミサ イルが置かれている、という状況での生活を余儀なくされています。

 ゲート前抗議行動は現在(2023年1月)もほぼ毎日続けられています。
 埼玉県在住のFujikoさん(うたうたい・島じまスタンディング)は保良ゲート前行動のSNSグループに参加して、ほぼ毎日、「保良だより(遠隔リポート)」を、保良の方々の許可を得てfacebookで発表しています。 ▶Fujikoさんfacebook


 ↓以下、「保良だより」を毎月一回の〝島じまゆんたく〟でスライド上映するためにまとめている画像です。ブログ掲載が滞っておりましたが、去年(2022年)の4月分から、あたらしいブログで再開します。

 「保良訓練場」開設から1年が過ぎた、2022年4月の「保良だより」より。原文はFujikoさん。写真は保良のみなさまから。編集は石井杉戸です。 

 
 



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