沖縄防衛局の弁明 勝連保安林問題

 
 
 陸上自衛隊 勝連分屯地(沖縄県うるま市)の「保安林問題」について、

(勝連分屯地の南東部一帯は保安林に指定されているが、違法に伐採・形質変更されて火薬庫・ミサイル車両広場・道路などの基地施設になっている。最初に保安林に指定されたのは1912年で、戦後この地域は米軍基地とされ、米軍によって伐採・形質変更された。1973年、この地域は米軍から返還され勝連分屯地となった。返還の際、日本政府はこの一帯を森林に現状回復しなければならなかった。しかし自衛隊は森林に戻すことをせず、さらに形質変更を進めた。1975年、この一帯は新しい森林法のもと、再度保安林に指定された。自衛隊は、勝連分屯地への今年度内の地対艦ミサイル部隊の配備と地対艦ミサイル連隊本部の設置を計画していて、それに伴う基地の改修工事を行っている。工事計画のうち、2つの工事が保安林指定区域にかかっていることが明らかになった。)

8月18日、沖縄県選出野党国会議員からなる「うりずんの会」の申入れにより、現地への立入調査が行われました。基地内の2ヶ所で、沖縄防衛局長が説明し、質疑が行われたそうです。この時の説明と質疑応答の記録資料を「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」から送っていただきました。以下、その内容・防衛局の主張のまとめなどー

(参加:⾚嶺政賢衆議院議員、新垣邦男衆議院議員、伊波洋⼀参議院議員、⾼良鉄美参議院議員、屋良朝博前衆議院議員、照屋⼤河県議会議員、北上⽥毅さん、宮城英和さん、照屋勝則さん、他各議員の秘書。)

 
沖縄防衛局の弁明 勝連保安林問題
 
 
 
「指定されたままになっている」

 沖縄防衛局の主張の要旨は次のようなもの。

1973年、米軍から返還された。既に米軍が木を伐採し開発した状態で引き継いでいる。

これまで4件の工事(2011~2013年)を保安林区域で行ったが、
①②訓練場の整備に関するアスファルトの舗装工事。それに関連した施設の電気の構内配線の工事。
③崖の法面が崩れたのを復旧する工事。
④構内配線路などの工事。

この4件で、森林を伐採するなどの行為はしていない。
「まさにこのアスファルトなどは既に米軍時代から林がないものですから、新たに何か林をいじるということはしていないということでございます。」
(局長)

我々としては、適法に対応していると認識している。

50年以上にわたって森林のない状態が継続しているが、大きな問題もなくこれまで使用してきた。例えば暴風等によって何らかの被害が出たということはなかった。

これから県と確認・調整を行って行く。



 今回の説明と質疑応答を記録した資料の中で、伊藤晋哉沖縄防衛局長は「保安林に指定されたままになっている」という表現を8回繰り返している。この言葉が防衛局の主張を端的に表している。
 保安林を開発したのは米軍で、我々はそこを引き継いで使ってきたが、50年間何も問題はなかった。未だに保安林に指定されたままになっているのは理不尽だ、と言いたいのだろう。
 「指定されている」という事実を「指定されたままになっている」と自分たちに都合良く解釈し、これからの改修工事や新部隊配備も県と調整さえすれば問題なくやっていける、と決めつけているようだ。


 
保安林の現状回復について

 違法に開発された保安林は、森林に戻さなければならない。1973年に米軍から返還された時点で日本政府には現状復旧の義務があったし、今もある。この点については、

「保安林を米軍が開発し、返還された50年以上にわたって実質的に支障のない中で、我々としては復旧するということは現時点では考えておりません」(局長)

との回答。「いずれにせよ指定されたままになっている経緯を県と協力して確認」していきたいとのこと。

 
 
火薬庫の改修等について

 火薬庫改修と受変電・給水施設ユーティリティー改修。今年度に行われる予定のこの2つの工事が、保安林指定区域にかかっている。「火薬庫については多分半分以上保安林指定された区域の中にあります」と局長も認識している。ユーティリティー改修は、受水槽などの電機関連の工事を行うが「受水槽の部分については保安林指定から外れたところにある」(局長)とのこと。
 森林の伐採が森林法の第34条1項で禁止されているが、伐採だけでなく土地の形質変更も第34条2項で禁止されている。森林が既になくなっていても、指定された箇所を形質変更することは森林法違反になる。この点についての北上田さんの質問には、

「火薬庫について返還後に形質変更に当たるということはしていないと承知しております。
(今年度に予定しているのは)既にある火薬庫の老朽化したシャッターを取り替えたりする工事ですね、それ自体は形質変更にあたらないというふうに考えております」
(局長)との回答。


 
「アスファルトを敷き直したりということはしています」

 地対空誘導弾訓練場になっている広場も、その半分くらい?が保安林指定区域にかかっている。昔の航空写真を見ると、米軍が使っていた初期は、この付近はアスファルト舗装されていなかったことが分かる。この広場は米軍から返還された1973年からこの状態なのか、という問いには、

「アスファルトを敷き直したりということはしています」(局長)

との答え。ここを自衛隊がアスファルトで舗装された広場に改修したのは「平成23年(2011年)の4件の工事の一つ目の工事です」(局長)という。
 つまり、防衛局自身の手で森林法違反の形質変更が行われていた。しかし「それが形質変更に当たるかどうかということについてはしっかり県とも確認していきたい」と、局長は形質変更を認めようとはしない。
 それでは当時はどうだったのか。2011年の時点で、どういう認識で工事をしたのか。すると、

「そもそもここが保安林に指定されたままになっているということについて、これは県からの指摘で承知をしたところです」と局長…。


 
いつ知ったのか?

「平成23年(2011年)以前に知っていたかということについては、今具体的なそこまでの確認はなかなか難しいんですけれども、承知はしていなかった。」(局長)
「県の指摘で我々が把握したのはそうなんですけど、長い経緯の中でいつそれがそうした把握に至ったのかということについて、今確認中でございます。」(局長)

 どうやら、今年の3月に市民の会が県に話をして、その後県が防衛局に連絡し、その時はじめて知ったということらしい。しかし土地登記簿の地目は『保安林』になっている。防衛局は土地所有者と土地賃貸借契約を交わしており、土地登記簿も確認しているはずだ。保安林とは認識していなかった、とはどういうことか。北上田さんの指摘に対し、

「保安林になっているものの森林ではない状態でしたので、そういう位置付けで何か工事をする際に、そこが保安林だという認識を持ってなかったというところです」

と防衛局職員が言った。つまりそこが保安林に指定されていると気付いてはいた。しかし現状を見て、保安林だと認識しなかった。工事の際も、すでに森林ではないから問題ないと解釈した。こんな言い分は通用しない。
 2011年のアスファルト舗装の時点で保安林指定を認識していたかどうかは、「確認中」(局長)とのこと。

「今、地対空誘導弾部隊もここ(アスファルト舗装の広場)で展開の手順確認をしたり、訓練をしています。今後、地対艦誘導弾部隊が配備になりましたら、ここを使うということはあると思います。」(局長)


 
返還後、1975年沖縄県は再度この一帯を保安林に指定した

 防衛局長は「50年以上問題なく使ってきた」と繰り返す。しかし本当にそうだったのか。
 先日の台風で、隣接する米軍のレーダーが破損し、破片が周辺に散乱した。2011年にも台風で破損し、民家の屋根に穴が空いたり、車が破損するなどの被害が出た。前述の2013年の法面工事も、保安林に指定されている部分が崩落したために行われたものだ。

 1975年、沖縄県は新しい森林法に基づき、この一帯を再度保安林に指定した。指定の目的は「風害防止」。なぜここに保安林が必要なのか。保安林の重要性を、防衛局は無視してはならない。


 
今後

 「火薬庫の改修は一切森林法上の形質変更に当たるものではないので、(工事は)まったく問題ないです」(局長)

…形質変更の上に存在しているものを改修しても形質変更ではないから問題ない、わけはない。火薬庫はまず、撤去されなければならない。次にその場所は森林に回復されなければならない。
 しかし防衛局は、県に保安林指定の解除を望んでいる。「県との調整」というのも、それを意味するようだ。

「我々の立場としては、やはり指定されたままになっていることについては解除も含め対応していただきたいと考えています。」(局長)

 
 最後に、北上田毅さんは「指定されたままになっているという表現そのものがおかしいんですよ。あくまで指定された場所なんですよ」と、この表現の撤回を求めた。

 米軍が使う前、ここには日本軍の高射砲陣地があった。照屋勝則さんは、「当時の写真を見ると日本軍も一部伐採している」ことを指摘した。かつて日本軍が奪い、米軍が占拠し、自衛隊が引き継いだ場所。そこに、沖縄戦を繰り返すような軍事戦略の主力部隊が置かれようとしている。

 「県の毅然とした対応を期待したい。」(「チョイさんの沖縄日記」)▶8月18日の記事

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