〈種子・馬毛・鹿児島報告①〉馬毛島と平和を未来へ

 

■2024年12月21日~23日

鹿児島港と種子島・西之表港を結ぶ高速船トッピーの船窓や、西之表市内の高台から、ずいぶん変わってしまった馬毛島の姿を眺めました。

それは報道写真でよく使われるような上空から見た姿ではなく、種子島の人たちが日常生活の中で見る馬毛島の姿です。緑は僅かで、砂色の地面に建造物やクレーンなどの重機が点在しています。航空写真に見るような詳細は掴めませんが、海に浮かぶ小さな島の上でなにかが蠢いている、禍々しさを感じました。

晴れて、やや風の強い日。形の変わってしまった岳之腰のあたりが、光を受けて白く霞んでいました。着工前、岳之腰のあたりは一面の草原が広がっていて、馬毛島にのみ自生するホソバノアリノトウグサも、このあたりに生きていたといいます。むき出しになった地面で、大きな砂嵐が起こっています。このような環境で、マゲシカや、ちいさな生きものたちが生き延びていけるとは、到底思えません。馬毛島の砂は、対岸の住吉にも飛んでくるそうです。あるいは海底の、馬毛島の森が育ててきた藻場やサンゴの上に、馬毛島の砂が降り積もっています。

夜。西之表市街の高台から、これまでは真っ暗で見えなかった馬毛島が、そこに都市があるかのように、光っていました。

いま、どれくらいの生きものたちが、馬毛島で生き延びているのでしょうか。ウミガメは産卵に戻ってくるでしょうか。渡り鳥や蝶は馬毛島に立ち寄るでしょうか。マゲシカはどうしているのでしょうか。マゲシカは千頭以上いるという防衛省の発表は、マゲシカを心配する人たちを愚弄するための悪意に満ちたデタラメだとしか思えません。西之表では、「工事関係者が見た」という話がいくつも出回っています。シカたちは、痩せて骨と皮っだけになっている、仔ジカは、痩せて腹部だけが肥大している。せいぜい30頭くらいしか生息していないだろう。工事車両に轢かれて死んだシカをよく目にする。…など。

私たちは、未来に何を残すことができるのか。次の世代に、まともなものは何ひとつ、手渡すことができないのではないか。馬毛島の姿が、そのように問いかけています。

馬毛島を切り捨てた上での、私たちの未来の平和はあり得ません。生きている馬毛島、宝の島、生きている島じまと、私たちの未来の平和は、セットであり、切り離して考えることはできません。島じまを奪い取って戦争態勢と軍事緊張をつくるこの国策に加担することは、自ら平和を手放し、次の世代から平和を奪うことです。

1月12日で、馬毛島基地本体工事着工から2年になります。もうずいぶん、馬毛島は壊されてしまって、元の姿に戻すことはできないでしょう。それでも、何百年という長い時間をかけて、少しずつ、豊かな馬毛島を取り戻していくことはできるはずです。この残酷な工事をやめさせて、馬毛島再生へのビジョンを、次の世代に繋いでいかなければならないと思います。

2024年12月21日(土)種子島へ向かう高速船トッピーから。馬毛島が見えてきました。

海は荒れて、船はずいぶん揺れました。


馬毛島の向こうに、種子島が見えてきました。








西之表港に到着


西之表港に海保の船


12月22日(日)。西之表市内に立ち並ぶコンテナハウス





西之表港を埋めつくす工事の台船



台船と馬毛島




西之表市街。ホテルニュー種子島の屋上に、防衛省が設置した馬毛島の工事管理用レーダー。

ホテルニュー種子島8階のレストランから

西之表港と台船と馬毛島

FCLPが始まってしまったら、このレストランにはミリタリー・マニアが集まってくるかもしれない。

戦争を眺めながらランチとか…

砂嵐


岳之腰周辺・馬毛島南部一帯が白く霞む


西之表市民会館裏から

台船と馬毛島

馬毛島の東の沖合に何かが浮かんでいる。



日曜日の夜9時ごろ、西之表市内の高台から。


12月23日(月)。馬毛島への米軍施設に反対する市民・団体連絡会の事務所。


西之表市住吉の高台から

馬毛島の右手に開聞岳と大隅半島

馬毛島の左手に硫黄島と黒島


削られている岳之腰。この日も砂が舞い上がり白く霞む。



仮設桟橋のあたり







屋久島


12月23日。高速船トッピーで西之表港から鹿児島へ。



海上には工事の台船が立ち並ぶ。









馬毛島と屋久島

いつも雲に覆われている屋久島。




馬毛島と種子島


コメント